クリエイターに憧れている。
0から1を生み出す人たち。
何も無いところから、形にしていく。
文章だったり絵だったり、写真や映像、ハンドメイドの作品だったり。
創造。作り出す。
すごいなと思う。
そうやって自分を表現している人たちに憧れる。
わたしは何ができるだろう。
文章も絵も得意ではない。
写真だって好きではあるけれど、プロみたいには撮れない。
未だにカメラの設定は分からない。
何だったら、できるだろう。
何だったら、自分を表現できるだろう。
何だったら、ちゃんと表現できるだろう。
ちゃんと、上手に。プロレベルに。
あぁ、そうか。
誰に見せても褒められるような、すごい作品を作れなければ得意と言ってはいけない。
「これが自分の作品です。」
「これがわたしです。」
と、胸を張って言ってはいけない。
そう思っていたんだな。
いいんだよ、上手じゃなくても。
いいんだよ、プロレベルじゃなくても。
いいんだよ、自分の好きなように表現すれば。
誰かに認められることが大切なんじゃない。
いいんだよ、好きなようにやれば。
数年前に横浜の赤レンガ倉庫で開催された、とある展示会に写真を出展した。
富山に引っ越したばかりの頃、風景写真をよく撮っていた。
なんとなく考えもせずに、「あ、いいな」と思う風景を撮った。
それを出展した。
オープニングセレモニー?で、出展したクリエイターやアーティストたちが集まった。
そのときに隣に展示されていた写真家が話しかけてきた。
その人はアドバイスをしてくれた。
構図をしっかり考えたほうがいいよ。
えっ、PCでレタッチ(色味の編集など)したの?
僕はレタッチなんか一切していないよ。
カメラの設定をこだわって微調整して
この作品を撮った。
もっといろいろ考えて撮らないと。
たまたま撮れただけじゃダメなんだよ。
頼んでもいないアドバイスは、ただの大きなお世話だ。
あぁきっとこの人は、そういう撮り方が好きなんだな。
この人はそれを良しと思っているんだな。
今の自分だったらそう思って右から左に流せる。
だけど当時のわたしは、彼の言葉を正面から受け止めてしまった。
ちゃんと考えて撮らないとダメなんだ。
カメラの設定もしっかりやらなくちゃ。
〖たまたま撮れた〗ではダメなんだ。
そう思い込んでしまった。
そこから風景写真が撮れなくなった。
「なんとなく」「楽しいから」撮る。
自分がいいなと思ったものを好きなように撮る。
それでいいんだよ。
そう今の自分に言ってあげた。
心が温かくなった。
いいんだよ、好きなように表現すれば。
それがステキなんだ。